2008年11月29日土曜日

大徳寺 黄梅院・興臨院・総見院



大徳寺は秋の特別公開の時期で、
黄梅院・興臨院・総見院の3つの拝観してきました。
ここに来るときはよく雪や雨が降っている気がします。
龍神さんでもいるのかな。

総見院は、信長のお墓があることが目玉ですが、私は特に信長ファン
というわけでもないので、感慨はそれほど無く。
ただ、解説員の女性の話がとてもとても流暢で聞き惚れました。
特に廃仏毀釈で寺宝が随分失われたという話が印象深い。
京都のお寺では、戦争の悲惨よりも廃仏毀釈の悲惨の方が強く
語り継がれるのかな。

黄梅院は紅葉が照り映える庭がとてもきれいでした。
雲谷派の襖絵は多分デジタル複写ではなかったとおもう。
(見分けが難しいんですけど。)
遠目かつ薄暗く、絵様もシンプルなので、鮮やかというほどの印象は無く。
紅葉のきらきら光る屋外に比して室内は淋しく寒く陰っていまして、
そういう雰囲気を襖絵が一層際だたせていた。
庭は、作仏庭の細々した演出も良いですが、破頭庭の広大さにびっくりする。
ただ長方形の形に広がるお庭なのに、なんでこんなに無限に広いんだろう。

興臨院では村石米齋画襖絵を見た。現代日本画ぽくない不思議な風合。
絵の正攻法での迫力は無いのだけど、描線は丁寧で、塗りの場所にひねりがあって存在感のある絵。
金地に花木図の、六曲一双の本間屏風があり。
琳派風なんだけど洒脱ではない、どろんとした画風。
「ちょっと小粋な江戸屏風」展に出てそうな感じの屏風絵でした。


最近ばたばたしててブログ全然書けてないのです。
それなのにばたばた展覧会に次々行ってしまうものだから、
ますます書くことが溜まって溜まって仕方がない。
でも、ここに書かないと忘れるし、忘れたら、行った意味ないし!



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京都府立堂本印象美術館「超〈日本画〉モダニズム―堂本印象・児玉希望・山口蓬春」














「秋の京都古美術満喫ツアー」なるものを企画し行って参りました。

まずは堂本印象美術館の、秋の企画展に。
児玉希望、山口蓬春をじっくり見るのは初めて。特に児玉希望は浅学にして知らず。

児玉希望の〈晩夏〉は、
面を単純化したマットな塗りの背景描写のなか、
スクエアのガラス瓶を配して、内に金魚が浮遊するように泳ぐ絵。
にくらしいほどにお洒落で機知に富んでいる。

山口蓬春は、作品をゆっくまとめてみたのは初めて。
本画の、不思議に完成度の高い風合いにびっくりする。
粒子の細かい絵の具の割に深くて濃い発色。
いい絵の具なのだなーと勘ぐりめいたこともつらつら考えつつ。
リンゴでも紫陽花でも、ねっとりと重い質感が独特。

堂本印象「或る家族」は、とても不思議な絵。
画中の各人物それぞれが、それぞれに閉ざされた表情で、
情景の断片をコラージュしたような表現。

この三画家の作品には、
絵のスタイル自体がモティーフになっている感じがあります。
画風を作る為の絵画制作、という感じ。
特に児玉希望は、画風変遷と言うべきなのか、分からないけど、
めまぐるしいほどさまざまな画様の作品群。
河合玉堂みたいな山河の風景表現や、
ショッキングな色の勢いを借りた抽象画、
凝ったマチエールに渋いモノクロの、半抽象的な〈新水墨画十二題〉などなど。


「超〈日本画〉」は、
そのものが漠とした〈日本画〉をさらに「超」なので、
もう私の頭の中は「?」がぐるぐる回ってしまいます。
ジャンルの意識は交通安全標語みたいなもので、安全に世の中を渡っていくためのガイドに過ぎない。
と思うのですが、「超〈日本画〉」を試行錯誤する行為は、
そういうガイド作りに苦心する姿にも見え、
絵画制作の行為そのものとはやや遊離しているようにも感じますし、それが、造形面でのかよわさになっているようにも感じます。

しかし、このかよわい造形は味でもあり、私は結構好きなんですが・・。


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2008年11月1日土曜日

大和文華館「崇高なる山水―中国・朝鮮、李郭系山水画の系譜―」



ちまたで噂の展覧会。
大和文華館はやっぱり怖いところだ。
こういう展覧会を東博とか京博でやらずに済ませてきたのは何故・・と思う。

昨日の徳川美術館の展示と好対照をなす中国絵画。
むこうは逸品系でこちらは正統系、なのかな。

李成の作風を最も忠実に伝えるものと目される〈喬松平遠図〉から
根津の牧牛図まであたりの並びは異常な名品揃いで、鳥肌が立つ。
喬松平遠図と有鄰館蔵〈秋山蕭寺図〉は別格の気高さ。
線そのもので、ではなく、線と線の狭間の余白で描写しているという感じ。
だから単眼鏡で見てもなにも見えない。適度な距離をおいて初めて見える絵。
メルロ・ポンティが言ったように、絵が画布そのものにくっついてあるのではなくて、
画布の少し上の空間に浮かんでいる。

大阪市立美術館の〈明皇避暑宮図〉の描写の細かさと、
その細かさをさらに統括する様に、絶妙の均衡を保っている全体観に圧されました。

李郭系の山水画は、シュールリアルそのもの。
異常なまでに細かい描写にもかかわらず、否、細かいからこそ、
画中の空間の背面が見えない。
モティーフの裏に回り込む感じが無い。
だけど、画空間自体には深い奥行きがある。
深い井戸をのぞき込んでいる感じ。
不思議不思議。




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