2009年2月3日火曜日

富岡鉄斎と近代日本画-伝統と近代的感性-

大和文華館
平成21年1月6日~2月15日

この展示を見た後は、「鐵齋」と記したい感じ。
「鉄斎」という表記ではイメージ違うなあ。

鉄斎と近代日本画とは銘打ってありますが99%鉄斎展。
キャプションが滅茶滅茶丁寧なので、勉強できます。すごく。
でも、
賛(現物の)を読む→キャプションの賛翻刻読む→賛の意味を読む→
印章(現物の)確認する→キャプションの印章説明読む→
作品に添えられた鉄斎の書状読む
→やっと絵を見る→絵のキャプション読む。
という行程を、全部の作品を見るときにやってると滅茶滅茶疲れます。
鉄斎の字、字体鑑賞的には良いですけど読み辛いし。

ただ、こういう見方で初めて絵がほんの少しはまともに理解できるのか、
とも思いました。
賛と印章、図様が、全部リズミカルに一致している。
総合芸術とまでは行かなくても、
少なくとも詩・書・画の芸が網羅されている感じ。
そして画に関して言えば、俗界にあって一片の俗無し。という感じだ。
絵の上手いとか下手とかそういう基準を超えてる。
主題の取り方も絵の描き方も、型にはまった感が無くて自由。

賛でとても印象的だったのが、
読書の余暇の楽しみで絵を描いているが、その絵について、
今の人には罵られても、古の人には笑われないようにしたい、
的な内容の言葉(《山中読書図》)。
なるほどなーー。

ちなみにキャプションによれば、今回展示の主な鉄斎作品は、
鉄斎と長く親交のあった近藤文太郎氏の旧蔵品だそう。




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「ウィーン美術史美術館所蔵・静物画の秘密」展

兵庫県立美術館
平成21年1月6日(火)~3月29日(日)

洋モノ。17世紀の静物画展。
バタ臭いモティーフ、色や線を存分に楽しみました。
古美術を勉強しているとつくづく思うことですが、
遠い異国の遙か昔の絵画を、現物で見ることが可能だということは
現代人の特権だなあ。

中味の詰まったボリューム感や、描き込む線の細かさ、
光のコントラストの鮮やかさ、色彩の強さについては、膠彩では
大分無理な領域の表現だなということを実感。
近代の日本画家が、西洋画のリアリズムに気圧された状況を追体験する感じ。
でも今回、個人的に発見だったことは、
油絵具で花弁の薄さや葡萄の実の皮膜の薄さを描き出すのは、
逆に、かなり大変なのかも。ということ。
透けるみたいな薄さが見えてこなくて、
ちょっとフラストレーションが溜まってしまった。


しかし、こうやってブログに見に行った展示の記録を付けていると、
自分がいかに節操なくいろいろ面白そうに見に行っているかを
つくづく思い知らされます。
見に行くところを選ぶときに、系統立てた発想が無い。
でも展示の「ライブ」な感じがとてつもなく好きなんです。
それだけの理由で、ばたばたとなんでもかんでも見に行ってる感じ。


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2009年2月2日月曜日

白洲次郎と白洲正子展 ―動乱の時代を美しく生きるー

大丸ミュージアムKOBE
平成21年1月28日(水)~2月9日(月)

お目当ては、白州正子の愛した古美術品の展示。
芹沢銈介美術館所蔵の「誰が袖図」屏風が出ている、
ということを聞きつけて行ってまいりました。
私の美術史への関心のほとんど九割くらいは「誰が袖図」屏風に
吸収されているかも。
研究対象というよりはもう、目に入れちゃいたいくらいいつも見てたい、みたいな気持ち。

今回改めて芹沢本をじっくり見ましたが、「誰が袖図」屏風の中でも、
良い感じに古拙な可愛さがある。
やっぱり白州正子や芹沢銈介に見込まれるだけのものではあります。

展示では「草創期の勢い」、白州正子の言葉では「ウブ」と表現されてますが
他の古美術作品でも、この「古拙な可愛さ」は共通してるなぁと思いました。





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華麗 大正浪漫 ―渡文コレクションの着物たち―

神戸ファッション美術館
平成21年1月24日~4月5日

去年は昭和初期を中心とする着物の展示でしたが、
今年は大正の着物の様相を見せる展示。

この着物は○年制作。という証拠が、なかなか残らないのが
服飾史の難しいところ。
模様デザイン、加工技術、袖等の形態から、
やっと大体この時期の衣装か、ということが想像できるくらい。
この展示のどの着物も、これは大正の着物ですと確信を以て言えるものは
ほとんど無いのじゃないかな。
厳密な年代比定ではいろいろ問題があると思いますが、
展示という試行的な場では、曖昧ながら大正の時代性が感じられる
と思いました。
感覚的には、もやもやした光と陰の表現。というのが大正浪漫なのかな。

でもやはり展示構成的には、
これが明治のテイスト、大正のテイスト、昭和初期のテイスト、
というのがなかなかぱっきりとは理解し辛い。
時代性を言い切るのは難しいなーーというのが全体的な感想。






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秋季特別展  「琳派展ⅩⅠ 花の協奏曲」

細見美術館
平成20年11/8(土)~平成21年2/8日(日)

其一と芳中作品が沢山出ている、という印象。
其一作品は、形の取り方がまるまると大振りで、色がぺたっと厚塗り目で、
特に青味の色の発色が綺麗。
芳中作品は、ヘタウマなかわいさが良いなあ。

琳派の、いままで知らなかった画家の作品とかも出ていて、
「琳派」という画派(画派としてとらえて良いのかも分からないけど)の総体は、
広く大きいなと改めて思いました。



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京都市美術館所蔵品展 画室の栖鳳

京都市美術館
平成21年1月24日(土)— 3月29日(日)

栖鳳尽くしの展示。
意外にも、未完の作品、結構残してあるのね、というのが一番強い感想。
なにがどうして未完のままになってしまったのか、ものを見るだけでは
よく分からない。
《船と鴎》、《竹》、《渓流》、どの未完作品も、ぱっと見た感じに、
作品としての問題点は無いように見えるからです。
でも栖鳳にとっては、それはもう続けて描いて完成させられるものではなかったわけで。
その決断の基準を知りたい気がした。
多分それこそが、画家独自の「作品」観を表しているのじゃないか、と思う。


「栖鳳紙」といわれるものを間近でじっくり見ましたが、見る限りでは
なんか分厚そう、というくらいしか分からなかった。
肌理は、不均一で細かい。多分繊維がぎゅっと詰まっているんだろうな。
それが物理的に滲み止めの役割を果たしてるんだろう。
こだわりの成果か、墨の滲みはすごくきれい。


絵が端正で上手いから、サラッとクールに描く人なのかと
かつては思っていましたが、でもそうじゃないんですね。
写生帖や下絵、未完の作品、栖鳳の制作についての回顧談が出ていて
さわやかな作風の裏側の試行錯誤が見えた気がします。




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