2008年12月8日月曜日

国立国際美術館「新国誠一の《具体詩》 詩と美術のあいだに」


まずとっても気に入ったのがチラシ。お洒落でかわいい。
私は詩のことについてとくに深く考えた経験は無いのですが、
ことばというものひとつひとつの意味や与える感覚には、
離れてはくっついてまた離れていくような浮遊的なイメージがあるなと思う。
そのイメージは視覚的でもあるし、触覚的でもあるし、感情的でもある。
そしてそのイメージは、永遠に固定されきれないふわふわしたもので。
そして、同一言語をもつ人間間でなんとなく共有されているイメージ。
「詩」は、その言語のイメージをうまいこと操ってしまう。
まるで絵具で絵を描くように。

・・・というようなことを考えたりしながらこの展示を見ました。
白地に黒の活字を散らしたり並べたり重ねたりして、
イメージをつくりだしている。
上手くいっているものと、ちょっと失敗しちゃっているものとがあり、
造形の良し悪しというものは、不思議なものだと思う。

現存資料からスキャンして再度刷って、パネルに仕上げて展示して
らっしゃいますが、地色の白は少し眩しすぎるのではないかと思いました。






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国立国際美術館「アバンギャルド・チャイナ―〈中国当代美術〉二十年―」


国立国際美術館のアバンギャルド・チャイナ展の
内覧会に潜入して参りました。
内覧会は、(当たり前ですけど)、美術業界の内輪のひとびとが主なので、
なんか、会場はしんどい重さだ。

この展示を見ただけで中国当代美術の様相が掴めるわけではありません。
でも、「ポリティカル・ポップ」なるものと、「シニカル・リアリズム」なるもの
と評されるような、まさに中国当代美術ともいうべき潮流・雰囲気は、
嗅ぎとることができたと思う。
とくに絵画は、日頃絵画というジャンルに自分が傾倒している所為もあって、
結構読解できた感じ。
方力鈞(ファン・リジュン)、王広義(ワン・グァンイー)は
表現の完成度が高い。
しかし、自国や自分の属する時代をここまで客観視して表現できて、
しかもその表現が非常に完結しているっていうのは、凄いなあ。
丁乙(ディン・イー)の抽象画は、可愛い。

ただ、現代美術においてなんとなくジャンルを成している、
グロい痛い系統は、やっぱり嫌です。
「悲しい」までの感情は、受け取れるのだけど、「グロい痛い」は無理。
もちろん、痛切に訴えたい内容があるからそういう表現に
なるのでしょうけども。




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2008年11月29日土曜日

大徳寺 黄梅院・興臨院・総見院



大徳寺は秋の特別公開の時期で、
黄梅院・興臨院・総見院の3つの拝観してきました。
ここに来るときはよく雪や雨が降っている気がします。
龍神さんでもいるのかな。

総見院は、信長のお墓があることが目玉ですが、私は特に信長ファン
というわけでもないので、感慨はそれほど無く。
ただ、解説員の女性の話がとてもとても流暢で聞き惚れました。
特に廃仏毀釈で寺宝が随分失われたという話が印象深い。
京都のお寺では、戦争の悲惨よりも廃仏毀釈の悲惨の方が強く
語り継がれるのかな。

黄梅院は紅葉が照り映える庭がとてもきれいでした。
雲谷派の襖絵は多分デジタル複写ではなかったとおもう。
(見分けが難しいんですけど。)
遠目かつ薄暗く、絵様もシンプルなので、鮮やかというほどの印象は無く。
紅葉のきらきら光る屋外に比して室内は淋しく寒く陰っていまして、
そういう雰囲気を襖絵が一層際だたせていた。
庭は、作仏庭の細々した演出も良いですが、破頭庭の広大さにびっくりする。
ただ長方形の形に広がるお庭なのに、なんでこんなに無限に広いんだろう。

興臨院では村石米齋画襖絵を見た。現代日本画ぽくない不思議な風合。
絵の正攻法での迫力は無いのだけど、描線は丁寧で、塗りの場所にひねりがあって存在感のある絵。
金地に花木図の、六曲一双の本間屏風があり。
琳派風なんだけど洒脱ではない、どろんとした画風。
「ちょっと小粋な江戸屏風」展に出てそうな感じの屏風絵でした。


最近ばたばたしててブログ全然書けてないのです。
それなのにばたばた展覧会に次々行ってしまうものだから、
ますます書くことが溜まって溜まって仕方がない。
でも、ここに書かないと忘れるし、忘れたら、行った意味ないし!



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京都府立堂本印象美術館「超〈日本画〉モダニズム―堂本印象・児玉希望・山口蓬春」














「秋の京都古美術満喫ツアー」なるものを企画し行って参りました。

まずは堂本印象美術館の、秋の企画展に。
児玉希望、山口蓬春をじっくり見るのは初めて。特に児玉希望は浅学にして知らず。

児玉希望の〈晩夏〉は、
面を単純化したマットな塗りの背景描写のなか、
スクエアのガラス瓶を配して、内に金魚が浮遊するように泳ぐ絵。
にくらしいほどにお洒落で機知に富んでいる。

山口蓬春は、作品をゆっくまとめてみたのは初めて。
本画の、不思議に完成度の高い風合いにびっくりする。
粒子の細かい絵の具の割に深くて濃い発色。
いい絵の具なのだなーと勘ぐりめいたこともつらつら考えつつ。
リンゴでも紫陽花でも、ねっとりと重い質感が独特。

堂本印象「或る家族」は、とても不思議な絵。
画中の各人物それぞれが、それぞれに閉ざされた表情で、
情景の断片をコラージュしたような表現。

この三画家の作品には、
絵のスタイル自体がモティーフになっている感じがあります。
画風を作る為の絵画制作、という感じ。
特に児玉希望は、画風変遷と言うべきなのか、分からないけど、
めまぐるしいほどさまざまな画様の作品群。
河合玉堂みたいな山河の風景表現や、
ショッキングな色の勢いを借りた抽象画、
凝ったマチエールに渋いモノクロの、半抽象的な〈新水墨画十二題〉などなど。


「超〈日本画〉」は、
そのものが漠とした〈日本画〉をさらに「超」なので、
もう私の頭の中は「?」がぐるぐる回ってしまいます。
ジャンルの意識は交通安全標語みたいなもので、安全に世の中を渡っていくためのガイドに過ぎない。
と思うのですが、「超〈日本画〉」を試行錯誤する行為は、
そういうガイド作りに苦心する姿にも見え、
絵画制作の行為そのものとはやや遊離しているようにも感じますし、それが、造形面でのかよわさになっているようにも感じます。

しかし、このかよわい造形は味でもあり、私は結構好きなんですが・・。


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2008年11月1日土曜日

大和文華館「崇高なる山水―中国・朝鮮、李郭系山水画の系譜―」



ちまたで噂の展覧会。
大和文華館はやっぱり怖いところだ。
こういう展覧会を東博とか京博でやらずに済ませてきたのは何故・・と思う。

昨日の徳川美術館の展示と好対照をなす中国絵画。
むこうは逸品系でこちらは正統系、なのかな。

李成の作風を最も忠実に伝えるものと目される〈喬松平遠図〉から
根津の牧牛図まであたりの並びは異常な名品揃いで、鳥肌が立つ。
喬松平遠図と有鄰館蔵〈秋山蕭寺図〉は別格の気高さ。
線そのもので、ではなく、線と線の狭間の余白で描写しているという感じ。
だから単眼鏡で見てもなにも見えない。適度な距離をおいて初めて見える絵。
メルロ・ポンティが言ったように、絵が画布そのものにくっついてあるのではなくて、
画布の少し上の空間に浮かんでいる。

大阪市立美術館の〈明皇避暑宮図〉の描写の細かさと、
その細かさをさらに統括する様に、絶妙の均衡を保っている全体観に圧されました。

李郭系の山水画は、シュールリアルそのもの。
異常なまでに細かい描写にもかかわらず、否、細かいからこそ、
画中の空間の背面が見えない。
モティーフの裏に回り込む感じが無い。
だけど、画空間自体には深い奥行きがある。
深い井戸をのぞき込んでいる感じ。
不思議不思議。




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2008年10月31日金曜日

愛知県立美術館「ライオネル・ファイニンガー展 光のクリスタル 」

ドイツの近代絵画は、昔油彩を描いていたときに、とても好きで、
特にアウグスト・マッケが大好きやった。
ライオネル・ファイニンガーの絵は、色調がマッケと似ている。
日本で普通にしていては滅多にお目にかかれないので、とても貴重な展覧会。

こういう、理論的に叙情を形作る絵画って、日本には無い感じがします。
西洋美術史の研究者さんは、造形言語という言葉をしばしば使われるけど、
確かに、論理的な造形活動を、造形言語、と呼んで捉えるのは当を得ている。

1920年代から30年代にかけての約20年間の作品はとりわけ圧巻。
ナイーブで精巧な画空間が本当に美しい。
静謐、という言葉がこれほど似合う絵もないだろう。と思いました。
クレーの絵に、奥行きと透明感と明晰さと、リアリティを加えた感じの画風。

常設に坂本繁二郎が2点出ていて、それも凄く良かった。




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徳川美術館「室町将軍家の至宝を探る」

今年は足利義満没後600年に当たるらしい。
それに因んだ展覧会。室町殿の唐物趣味を探る試み。
贅沢すぎ・・眼福。

相変わらず華やかな伝来を持つ品々で、キャプションを読むだけでおののく。
で、一巡では作品そのものをゆっくり見られず・・。
二巡目でやっと、ゆっくり鑑賞。

正直なところ、この系統の書画の良さはまだ理解できない。
梁楷、玉澗、牧谿、夏珪の名品といわれるものが続々出ていたのに。
逸品画風というものの受け止め方が、まだよく分からない。
むしろ分かりやすく技巧的なものに惹かれてしまう。

堆朱の盆が、泣けるほど良いものばかり出ていました。
二重彫りの堆朱、下地が見えない様に文様を埋め尽くす技巧。
朱の不透明な彩りの中に、いろんな色味が堆積して詰まっている感じ。
珍しい堆白の箱が出ていて、これが妙に冷たい質感で、
美しいけどむしろ異形な風合を醸し出していた。
青磁や天目も激しく良かった。

伝周文筆の秋冬山水図屏風は凄みのある寒さ。
室町期水墨画は寒い。桃山江戸とは違うなァ。


名古屋城・徳川美術館・愛知県立美術館を巡るのに
観光ルートバス「メーグル」を初めて利用しました。
1日乗車券で入館料が値引きされ、お得で楽ちん。



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名古屋城天守閣2階展示室「失われた国宝 名古屋城本丸御殿‐創建・戦火・そして復元」

名古屋は、意外に近いので、(鈍行でも十分日帰りできる!)、
ちょっと遠出をして遊びたい気持ちの時は凄く良い。
関西と文化圏も違うので、旅気分が味わえます。

名古屋城の天守閣の展示室は、いつも熱い企画展をされるので、
目が離せません。
今回も迫真のドキュメンタリー仕上げで、随分我を忘れて見ました。

昭和20年の5月に戦争で消失した名古屋城の、飾金具を中心に
痛々しいほど焼けただれた遺品、今は残っていない箇所のガラス乾板写真、
金具の拓本、建物の図面から、かつての城の姿を浮き上がらせる展示。
でも浮き上がらせようとすればするほど、
色々な媒体に残された情報を集めれば集めるほど、
失われたものの多さが浮き彫りになる、という感覚がぬぐえず、とても切ない。

火災を免れた障壁画のうち、今回は杉戸絵が出展されていました。
花車図は前期のみで残念でしたが、復元模写が出ていた。 
襖の方の復元模写に比べて、杉戸の方が、違和感ない感じ。
当初はこんなふうに、こってりだったのね、と、とても新鮮。
花桶図の杉戸は出ていて、これがいわゆる寛永期の静物画やね、と、見入っていました。

上洛殿の天井画の、枠飾の文様が金の型摺で、ちょっと注目でした。
染織の摺箔技法に近い感じ。
以前も見たはずだけど、そのときは気にしなかったなあ・・。

図録も濃厚な情報量で、勉強に困らない感じ。



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2008年10月27日月曜日

しばらく休んでました。

ブログのログイン方法も忘れちゃうくらい、休んでました。(泣)
もう晩秋だあ・・10月も終わってしまう。

ブログ放置しながらも、ちょこちょこ展覧会行っておりました。
万葉文化館の晨鳥社の展示とか。山口華楊の牛絵は目がとび出るくらいうまかった。
あと飛鳥の石舞台とか、東京の兄の個展とか、大琳派展とか。
樫木知子さんの、memでの個展にも。
女の子のスカートの描写がちょっと初めて見る感じで惹かれました。
モリス展は、最後の日本民芸のところがしょうゆくさかった。グラスゴー派が素敵やった。

奈良の大和文華館と名古屋城博物館と京都秋の文化財公開と楽美術館と京博の蒔絵展、
見に行かないと!



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2008年9月16日火曜日

ウィリアム・ケントリッジ講演会 in 同志社

たまたま、誘って貰ったので行ってみました。

1時間半の講演の間ずっと、話と作品上映に釘付け。
ウィリアム・ケントリッジ氏は、偉大な人だ、と思った。
南アフリカ在住の、映像作家。お名前を知ったのも、作品を見たのも今日が初めて。

話の内容は、かなり行き当たりばったりに、作品に即した内容。でも、率直で、知的で、論理的で、
そして、感動的だった。
通りいっぺんの平凡さが微塵もない作品と、話の内容にひたすら引っ張り込まれる。
なにより、制作への誠実さ、をありありと感じた。
私はずっと最近、「見る」ひとの側で居すぎたせいか、そういった誠実さが、分からなくなっていつのまにか踏みつけにしていたかもしれないと気付かされた。

作品は、ドローイングのコマ撮りで作った映像。
描いては消して描いては消して、痕を残しながらの情景描写を展開する。
消した痕が、眼の中の残像と重なって、より強調される。
比較的初期のドローイング映像は、この、描いて消し描いて消しという、シンプルで印象深い手法を一貫している。
最近に近くなればなる程、その手法とフィルム編集の技術とが複合されて、
制作のメカニズムが、容易には理解できないほど複雑化している。

とくに印象深かった言葉は、自分の作品に、
「自己満足以上のものが、あらわれているであろう、ということを期待している」。
ある意味、開放性の強い制作態度だと思う。
不思議な、見えないもの・自分の手に負えないものへの信頼や自信を感じる。

来年京近美で個展開催とのこと。楽しみです。



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2008年9月10日水曜日

京都府京都文化博物館「KAZARI 日本美の情熱」


文化博物館のKAZARI展。
先月はじめころと、今日と、結局二回見に行きました。

この展示は、いろんな館の常設展を
混ぜ混ぜにして良い感じに「日本美術の流れ」を作ってみたという感じ。

個人的には、風俗図屏風が沢山出ていたので嬉しかった。
しかし、この定型化した人物描写と構図形式を見る度に、
風俗図が定型化するってどういうことなのよ、って思う。
定型化した表現を風俗描写とは言えない。
じゃあ、ここに描かれているものは何と呼べるだろう。模様みたいなものなのか。
でもそれで納得するにしては、図様がえげつない。
、、という風に頭をひねってしまう感じが、近世と現代の隔たりなのか、と思ったり。
いずれにしても、わかりそうでわからない前近代的な「風俗図屏風」が、好き。

きものが沢山出ていて、やっぱり丸紅の所蔵のきもの、いいなーと思ったり、野村正治郎の小袖屏風はやっぱり痛々しいなと思ったり。
徒然に見るばかりでしたけど、こういう感じも、常設展っぽい。

でも「かざり」って、展覧会のテーマにするにはちょっと抽象的すぎる。
「かざり」をテーマに、こんな風に品々を並べて見えてくるもの、は、
そんなに真に迫ったものではなかった。



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2008年8月30日土曜日

村田画廊「竹内浩一・村田茂樹ふたり展」


村田画廊に行ってきました。
ふたり展のこと、村田画廊の場所、或いは修羅の・・のfumiさんに教えていただいて。
最寄りの地下鉄の駅(松ヶ崎)からすこし離れているから、自力ではきっとなかなかたどり着けなかったと思う。

竹内先生、村田茂樹さん、おふたりとも画風は近い感じがします。
作品は小さめの大きさ。全部額装だった(と思う)。
竹内先生の方は猿画。かわいい・・。
(先生先生言うてますけどあくまで私淑。)
これまで拝見した経験では、硬質な絵、という印象がありました。が、今回出してらっしゃる絵はとても柔らかい気がする。
描写は変わらずとても細密。
先生の描く猿さんは岡崎の動物園のお猿さんなのかな・・。

村田茂樹さんの作品は、不勉強で今回が初見。
ブロッコリとかお豆さんとか。薄緑が目に眩しい。
すごくすごく繊細な描写が、単純化されたフォルムに包み隠されて、端正な感じ。



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2008年8月29日金曜日

国立国際美術館「モディリアーニ展 Modigliani et le Plimitivisme」 


雨が降ったり止んだりで、大阪はむしむしした暑さ。
不快指数高い気候だったけど、モディリアーニ展は最高に良かった。

モディリアーニ。
この展示を見るまで私がもっていたモディリアーニ像は、哀しくなるくらい貧弱なものだった。
知らないってことは怖いなあとつくづく思う。
有名な人だから、名前だけ頭にこびり付いてて、「知ってる」って思いこんでいたんだと思う。
今回、デッサンと油画の数十点を見て、何も知らなかったことに気付いた。

人物の表情、表現の色、背景の構成、簡略の具合。どれもがうまいところで止まっている。
20世紀初頭の時代の表現の嗜好がありありと出ていて、そしてまた、その時代様式にのっかって、利用して、それが土台になって、この人だけがやりたかったことが、為されている、と感じた。
時代の枠にはまりきらない普遍的な強さが、あらわれていると思う。

女性表現と男性表現での温度差を感じる。女性を描くほうが断然好きだったんだろうな。
それにしても、入り口入ってから出口を出るまでずっと全部モディリアニの作品、っていうのは凄すぎる。
展示としても、大変な圧巻。



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大阪市立東洋陶磁美術館 受贈記念特別展「中国工芸の精華 沖正一郎コレクション-鼻煙壺1000展」


大阪市立の東洋陶磁美術館は、私が一番好きな美術館。

陶磁器をみるに最適な調光だし。
展示ケース内の台のカバーは、突出はしないけどしっかりと作品を際だたせる色味と質感。
そして作品を見るときにゆっくり肘をつくことができる、ケース前の台。
もちろん言うまでもないことだけれど、旧安宅コレクションの陶磁器が、すごくいい。

いまの企画展は、鼻煙壺。

・・鼻煙壺。そんな物があるなんて初めて知りました。
そしてそんな「鼻煙壺」を1000点以上も集めて、
そしてそして大阪市に寄付しちゃう人がいるなんて。
世の中、知らないことは多くてびっくりする。

展示は、これでもかこれでもかと大量の鼻煙壺。ちっちゃいものでも1000というのは凄い数だと実感。
全て19・20世紀の、中国での制作。中国のモダン・デザイン。
お金持ち様向けの作品なので、手間と材料にかけるものが並大抵じゃなくて、どれも宝石みたい。
眼福でした。

でも常設の北宋の白磁のほうが、良かった。



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2008年8月26日火曜日

京都国立近代美術館「〈日本画〉再考への序章 没後10年 下村良之介展」


とても尊敬している学芸員さんと世間話をする機会に恵まれて、
たまたまこの展示の話になりました。
「凄い良かった」の意見で合流し、
「やっぱり、展示は企画性と時代性だな―」という言葉に結着した。

ある「作品」や「モノ」を、見るにもっともふさわしい時期がある。
あるいは、その「作品」や「モノ」が、ある時までは、何の意味もなく見えたのが、
ある瞬間を迎えた途端に、怒濤の如く理解できるようになる。
それがいつ来るのか。それが読めるひとは、展覧会企画の天才かもしれない。

まあ、そんな夢みるような話はさておき。
この展覧会を見て一番思ったことは、「絵画って平面じゃないんだ」ということだった。
下村良之介は粘土を使って、もりあげて画面を作っているけど、
それは、もともとあった色面の厚みをより強調するようなものなんじゃないか。と、思った。

とにかくどの絵も力に溢れていて、圧倒されますが、
なかでも〈闘鶏屏風〉が、とりわけ印象に残りました。



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2008年8月19日火曜日

滋賀県立近代美術館「ファーブル昆虫記の世界」


滋賀県の近美には、ひと月かふた月に一度くらいの割合で行きます。
今回やってらっしゃる展示は、ファーブル。

いつも思うことですが、この美術館の展示は幅がひろい。
仏像あり、デザインあり、現代美術や日本画、近世絵画、建築あり。
ジャンルの垣根が無いのが、私的には好きです。
いつも意外感があるし、それに美術という場が基本的に、どんな分野の内容をも取り込んでしまうものなのだなということを実感できるから。

でもファーブル昆虫記を美術館で見るとは、思ってなかったな。
見た感想から言えば、「メルヘン」。
そして、丹念で細い昆虫スケッチの線に釘付け。
科学的なスケッチも、練達したこまやかな描写のものは美的作品になるのね。

そういえばむかし、理科の授業で「理科のスケッチは、図画工作のときとは違って、途切れない線ではっきりと陰影を付けずに描いてください。」と習った。
それって、ある種の日本画の、本画の線でもそうよね、切れない線ではっきりと陰影を付けずに描く。
写生って結局、「線」の洗練なのかしらね。科学・美術を問わず。




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2008年8月17日日曜日

原田の森ギャラリー「十点展」


原田の森ギャラリーに行ってきました。
初めて行ったのですけど、立派な建物で、雰囲気もさわやかな。立地も便利なところでした。

十点展。
tententen、と読ませていて、かわいいし、なるほど~とうなっちゃうナイスなネーミング。
十という数の、視覚的に静謐な雰囲気もいいな。
そしてなにより、各作家で10点も作品を見ることが出来るのはうれしい。
皆、同世代の日本画家。(そして私も同世代。)
どれも、安定して、破綻無くこなれたタッチの絵、淡く美しい華やかな色。

7人展、なのですが、そのなかでも寺井さんの作品がどうしても見たくて、行ってきました。
彼女の絵は、形のとりかた、色の使い方、構図、全部がとても好きで、
昔からとても憧れていたのです。
やはりその線は健在で、柔らかく大きく包み込むように描いている。
この質量のある柔らかさは、そんなにどこにでもあるような感じじゃないな、
普通には得難いようなものを持っている人だなあと思う。



・・いつも思うことなんだけど、日本画家の女性って、みんなとても綺麗なのね。
今日も、会場の作家さんの姿を見ながらつくづく思っていました。
顔とかだけじゃなく全身で、雰囲気ごと、きれい。
それは、日本画を描いてるから綺麗になるの? それとも綺麗だから日本画を描くのかな。
ずっとずっと不思議に思っていることなんだけど、まだ答がわからない。




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2008年8月3日日曜日

堂本印象美術館「祈りの形象―真理を求めて」


印象美術館は一年振りくらい。
ここに来る度つくづく思うのは、京都市の北の西って、市の西の南(猫かぶりの家があります)からは
距離に比してのアクセスがかなり悪いということ。
直線距離近いはずなのに、なんでこんなに遠い・・。

貧相な感想ですが「印象さんの観音さまは美人だ」。
そして信貴山成福院の障壁画が特別出陳されていました。林に鹿が行き交う図。
印象さんの障壁画のあるお寺の全国分布図がパネルされていた。いろんな所に描いてはるんや・・。
勉強になります。
高知の竹林寺にも描いてはるんね。


印象さんの、あの抽象的なぴょんぴょんした線をたっぷり見た後そとに出て、建物の外観を見ると
その線がまだいっぱいいっぱい壁に這っていて、見慣れすぎて目が痛くなった。




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京都・アートゾーン神楽岡「PORT DI STAMPA」


PORT DI STAMPA・・・版画の原点(港)みたいな意味らしい。
京都市芸大版画在学の6人展。

こちらへは初めて行ったのですけど、建物わかりやすくて広くて大きくて明るくて天井高くていいですね。
作品数は30点弱。点数が多くて、充実した展示。
版画で値頃な良い作品買いたい人は、ここに来たら喜んで買っちゃうかも知れません。

6人展なのですが、私的には中村桃子さんと堂東由佳さんが素敵です。

中村桃子さんの〈植木鉢女〉、〈地層女〉、〈岩男〉・・のシリーズ、
単純に自然の擬人化なのでも、人体変化の一種なのでもないところが、見ている目を引き留めてくれます。
黒い線の密集したかたまりの中に差し込まれた、ピンク色のほっそりしたスイートピーのかたちが、
絶妙に可憐。しかもその黒いかたまりが女の子の頭なんて、上手い。

堂東由佳さん。
関係無いかも知れないけど値段安くないですか。周りに合わせればもっと高くて良いのでは。
対になってる〈dead or arive cat〉と〈dead or arive bird〉が大作で、良いですね。
catの方は黒地に白で猫文様のバリエーションの反復。birdの方は白地に黒で鳥文様。
鳥の方、展示場所にマッチしていて特に素敵です。
遠目では、ひだまりの中でゆらゆら揺れる白レースの掛布。
繊細な陰影の襞かと思いきや、近目では結構シュールな鳥のイラスト。細かい鳥模様のかたちにバリエーションがある。
でも全部違う形というわけでもなく、同じ形が規則的に(どういう法則性かちょっと読めないけど)
反復されていて、画面全体にリズミカルな調子を生み出している。
この細かい模様の配分で全体の形態と色調を決めているのね。
細かい作業と大きな画面全体の作業との連動がきれい。



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京都市美術館 コレクション展第2期「色 — 響きと調べ」

京都市美のコレクション展を見てきました。

会場入ってすぐの壁に掛かっている絵が、なんか見たことあるような無いような絵で
いぶかしく思いながら近づいたら竹内浩一先生の絵だった。
そういえば画集で見たことあったっけ。珍しく動物画ではないので最初は違和感ありましたが、
タッチは不変。うつろうしみのような色影が素敵です。

一室めの作品がどれも良すぎて泣けました。

栖鳳の〈雄風〉、実物は初見。図版を見ただけでも変わった絵だと思っていたけど
今回見た感想も、「変わってる」。写実的とは言い難いのに、空想ではないという感じ。
そして筆遣いがいろいろ込み入っていて、どう描いているのかがいまいち分からない。
テクニシャンなんだなあ。

菊池契月の〈紫騮〉。張り詰めた空気が耳に響いてきそう。
こういう絵のことを象徴的ていうのかな。と、見ていてふと思った。練りに練られた構図。

紫峰の〈奈良の森〉、紫峰らしさ全開で気持ちいい。
入道雲が、ふにゃあと伸びて行くような表現の木の幹。

小野竹喬〈夕雲〉。好みのど真ん中の絵は「凄く好きです良かった」
とかいう紋切り型の表現しか出来ないのが悔しいのだけど、
やっぱり凄く良いとしか言えない。

皆川月華の〈彩海魚之図〉は昭和初期の派手モダン。
着ればもうちょっと落ち着いた感じになるのかも知れないけど、着るのは相当気合い要りますでしょうね。
帯はどんなのをあわせるんだろうか・・。
京都市美の染織コレクション展が見たいなあ。




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2008年8月1日金曜日

京都国立博物館 常設展示

久しぶりに京博に行って参りました。

染織コーナーで「夏の着物」特集をやってらっしゃる。絽の着物が涼しげ。
一番奥のケースで大正昭和の半襟を数点出してらっしゃいましたが
花模様が細かく刺繍されて、かわいい。
図録では何回か見たことがある、宝尽くし文様の腰巻が出ていました。
実物とイメージが違って、ちょっとびっくり。
染織品の色味は、写真では再現しにくいものだなあと改めて実感。

絵画は絵巻が面白くて、釘付け。
とくに、病草紙。病草紙をこんなにじっくり見るのは初めてだったかもしれません。
図様はえげつないのに線は流麗で、変な感じだ。

あと、応挙の龍門図三幅対は夏らしいさわやかさ。
海北友松の龍図(建仁寺)はもうだいぶお馴染みだけど、見る度に
やっぱり掛軸装は落ちつかへん・・と思う。
雲谷等顔の帰去来図襖(普門院)は状態良くないけど、「逸品」。

龍馬特集は猫に小判でした。屏風絵に飛んでる血しぶきに「おおお」となるくらいかな。



*

2008年7月12日土曜日

東京国立博物館「対決ー巨匠たちの日本美術」

ずいぶんと駆け足で見てまわったので大事な見所が抜けてしまっているかも。
でもま、それは気にせずメモしておきます。

新出の永徳画、《松に叭叭鳥・柳に白鷺図屏風》を見ることができたのが良かった。
確かに確かに聚光院の《花鳥図襖》に、表現が近似している。
かさかさした筆さばきや、各々孤立して点在するモティーフ表現が。
・・・最近永徳画の新発見が多いのね。
それは何ででしょう。学問的成熟? 永徳画の良さがこのところ富みにクローズアップされてきたから?

芦雪の《海浜奇勝図屏風》(メトロポリタン美術館)は、非常に格好いい屏風絵でした。特に左隻。
2006年の「応挙と芦雪」展(奈良県立美術館)には出てなかった作品。
この造形の勢いの良さは、時代を飛び越えているんじゃないのかなあ・・。
芦雪は応挙と並べるよりも蕭白と並べた方が面白い気がする。
そして若冲は応挙と対置してみたい気がします。

展示は、各対決ごとにブースを作っていますが、「対決!!」と銘打った割にはおとなしく順々に並べている感じ。
人がかなり混み合っていたので、両者を見比べるほど見通しは良くなくて、スムーズに見て回れない。
でも画題やモティーフのちがうもの同士、土俵違いな作品同士を並べても、
ほんとに対決とはいいにくいんじゃないのかなあ。
かといって、応挙の虎と芦雪の虎を並べても仕方ない。十八番が違うんだし。

やっぱり対決と銘打ってやるからには、それぞれの最高傑作と言われる作品同士で並べるのが順当では?と思いました。
そういう意味では、各所各所で、企画と作品が一致してないもどかしさがありました。
応挙の孔雀画は絶対出すべきだったと思うし、
今回出品の宗達画と光琳画は、風神雷神はいいとしても、その他は、
なんであえてその作品を選んで並べる必要性があるのかが分からない。

ざっくり見ただけなのに生意気なことばかり云々してしまった。
でも。
見応えのあるいい作品が沢山出ていて(企画性は別としても)、十分にいい展示。




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三井記念美術館「美術の遊びとこころⅢ NIPPONの夏ー応挙・歌麿・北斎から〈きもの〉までー」

いつも思うことだけれど、三井記念美術館の企画展は上品・・・。
茶道具とか書とか拓本とか。
今回の展示の主題は「夏」。見ているだけで涼感が漂ってくる。

とりわけガラス製品の鮮やかな色味に目が吸い寄せられる。
〈色ガラス製虫籠〉(19世紀)は、総ガラスの虫かごで、こんな展示でない限り
なかなかお目にかかれないのじゃないかしら。
華奢で儚いのに、華やか。
夏の夜の縁側に置いて、月の光にキラキラ光らせて
鈴虫でも入れて鳴かせたら、どんなに涼しいことだろうな。
ほかにガラス製の簪やキセルもある。ぽっぴんは初めて見ました。

絵は、応挙の〈青楓瀑布図〉(サントリー美術館)が出ていました。
つい最近こんぴらさんでも瀑布図を見たので、続けさまで応挙の滝を見ている。
関連して、千總さんの保津川図屏風が見たいなあと、思いながら見ていました。
(そして偶然にも、次に行った東京国立博物館で出してらっしゃって、見ることが出来ました。)

クーラーはもちろん、冷蔵庫も無い時代の「夏」の風物。
よく考えてみれば、
涼しい絵を描くことやガラスの飾りものを作ること、
あらゆるお道具に涼しげな意匠を凝らすこと、衣料や家屋を工夫することに、
今、クーラーや冷蔵庫やアイスにかけているような費用や労力の全てを傾けていた、とも言えるかもしれない。
ただ単に部屋を閉め切って空気を冷やして夏を凌ぐのは、便利とはいえ詰まらないことね。
と、思ってしまうくらい、涼の風物が素敵だった。





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西村画廊「町田久美"Snow Day"」

町田久美さんという画家さんの名を知ったのは、BTで取り上げられていたのを読んだのが最初。
強く太く黒い線が、印象的でした。
今回見に行けたのが、とても嬉しい。

作品数が結構多くて、小品も含めて16点ほど。
雑誌でみた線を、間近でじっくり眺める。ムラ、途切れの無い線。おおきな抑揚も無い。
もの凄い筆圧で描くので、筆を何本も駄目にする、とかいう話が載っていましたが、
この線の強さは、なかなかお目にかかれない感じ。
人体の変化形の様々が、主要なモティーフ。
赤ちゃんのようなぷりぷりした肉感が、幾何学的な円形・球形・楕円形に落とし込まれて、
無機質なのになまなましい。

人物って、ゆっっくり丁寧にそして正確に描いていくと、
逆に非常にシュールに人間離れしていくもんじゃないかなと、思う。
町田久美さんの作品は、ちょっと気味悪い感じで、またそこが魅力なんだと思うのですが、
こういう人体の不気味さは、ちょっと応挙に似ている。「人物正写図巻」の細密な描写とか。

「恐怖の谷」の話を思い出します。
ロボットなどを作る際に、人間に似せていけば似せていくほど、
違和感は大きくなって、不気味に見えるという心理の法則。
近づけば近づくほど不気味の谷に落ち込んで行く。

町田久美さんの作品は、人体の正確な形をある意味、非常にするどく捉えていて、
そしてそれだからこそ、身震いするような不気味さを感じてしまうのだと思う。
この方の凄い(なと思う)ところは、その不気味さを表現にうまく転化して、見るものの気持ちを
自在に揺さぶってしまうところですね。


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野間記念美術館「竹内栖鳳と京都画壇」


野間記念美術館へ行くのは初めてでした。
場所は、メトロの護国寺の駅から徒歩20分ほどのところ。
静かな住宅街の中でもひときわ、うっそうと木々の茂るお庭に囲まれた館。

展示は、
竹内栖鳳・上村松園・西村五雲・橋本関雪・土田麦僊・榊原紫峰・
三木翠山・小野竹喬・徳岡神泉・伊藤小坡・菊池契月・川村曼舟・梥本一洋・
堂本印象・福田平八郎・山口華揚・上村松篁、etcと、今尾景年。

画家それぞれの画風が多様。
上村松園・西村五雲・橋本関雪・土田麦僊・榊原紫峰・三木翠山・小野竹喬・徳岡神泉、
この人たちが同じ師に就いたということを、絵を見るだけではなかなか想像できない。
それが、栖鳳という人の幅の広さなのかと思う。またそれが、近代の京都の風向なのかなとも思う。

各画家について常々感じていたことを、fumiさんに喋ってみる。
意見が一致することが多くて、感覚って共有されるんだな・・と、不思議な、嬉しい気持ち。
紫峰ってほんとバタ臭いね(でもそこがいいんだ)、とか、福田平八郎なんでこんな位置に落款?、とか。
五雲の十二ヶ月図の構図の不思議さに首を傾げたり。

栖鳳の作品は粋な小品が多い。
土田麦僊の《春》は・・大変な力作です。
写実で得た形を、決して生では使わず、いい形だけ取り出して、その形を
まるでパズルをするときのような適切さで、画面上に嵌め込んで再構成している。
絵を作る上での構想はとても意図的に練り込まれていると感じさせますが、
その作画の過程は綺麗に隠されて
最後の一番美味しい形だけが残されて完成している。という印象。
あんまりよく知らないけども、よく出来た京料理ってこういう感じなんじゃないかな・・。

「よく出来た京料理」。この展示の作品は結構みんなそういう感じがします。
自然にある物を、その綺麗さや雰囲気のいいところを残しながら、決してナマでは使わず、
薄味に仕上げてるんだけど、たっぷりのだしを含ませている。
ちょっとぬるい。味も温度も。けどそのぬるさがいわゆる「上品」で、味わっているうちにはまってしまう。


今回あらためて凄い人だと思ったのは、上村松園。十二ヶ月図の表現のキレの良さは尋常じゃない。
特に十二月、《降雪》。
古いものの形を借りているのに、こんなに新鮮な形に描けるなんて。


ここでは、すごくいい時代の、いい京都を見てきた気がします。




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2008年7月11日金曜日

オオタファインアーツ(Ota Fine Arts)「携帯電話の電源を切ったとき、絵画は雄弁に語りだす」

勝どきの、オオタファインアーツに行ってきました。
場所が・・・・わかりにくいです。特に、入り口がどこかわかんない。
一人で行っていたらたどり着くことを諦めていたかも。

なんとか会場に入れて、拝見。
出展の作家は小池真奈美さん、樫木知子さん、フィロズ・マハムドさん。

小池真奈美さんの絵ははじめて見たのだけど、ぞくぞくする怖い絵。
絵の中に登場する女の子が、次見た瞬間には首がもげていそうで怖い。
頭が体に比してとても大きいからアンバランス。黒髪のボリュームがさらにそれを増加している。
描線が細かく滲んで、全体的に輪郭はボケている。なのに、クリアな鮮やかさ。
つまり、ピントは合っているのにレンズが濡れててうまく映し出されない、みたいな。
自分の目がこんな像を映し出すようになったら、気持ち悪くて狂いそう。
絵の主題は落語から来ているのだって。
でもなんで絵の中の女の子が着ている着物は、大正末~昭和頃の銘仙とか御召なんだろ。
落語の世界にしては中途半端に古い年代設定じゃない。
でもそういう不思議感がいいのか・・。確かにレトロな懐かし感がある。


樫木知子さん。作品は3つ。
ふたつは新作で、ひとつは、3年くらい前に京都芸大の作品展で見たことのある作品でした。
新作は、とても横長もの、と、縦長のもの。

横長の分はタイトルが長い。
「土の丘 下には根 上は網の枝 枝の向こうはコウノトリ 間でひとは蟻さがし、もしくは 石ころに似せた石ころそっくりの絵を描く」。
雪崩れ落ちていくような流動的な形態感が、見ている私自身の足元にまでしのび寄ってくる。
芋虫みたいになってしまった人体が、「かなしい」と思うんだけど、そういう感じ方はおかしいのかな。
どうしてもこの絵を、無感覚で無音な地獄絵というふうに感じてしまう。
不幸な絵。
でも色の階調がきれいで、心揺さぶられる絵。



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郷さくら美術館「現代日本画の精華」

福島の郡山に行ってきまして、さくら美術館にお邪魔しました。
この館は基本的なコンセプトは、三春滝桜にやや関連づけた絵画(日本画)を
展示するということにあるよう。
所蔵品は、昭和生まれの作家ものに限っている。

展示室は8つに分かれているけれども、
企画展の部屋と三春滝桜の部屋と世界遺産の部屋を除いては、各室のテーマ設定が
具体的じゃないので、部屋毎に雰囲気がすごく変化しているというわけではなかった。

見る人の趣味に応じて、「この絵が好き」とか「あまり好きじゃない」ということはあるかも知れないけど、
基本的に上品で丁寧に描かれた作品が並んでいる。
こんなのは大嫌いだと思わせるような絵とか、目を覆いたくなるようなグロテスクな絵は無い。
粒が揃っているというか。きちんとした技術。
画題とか精神性は、少なくとも表面的には、あんまり強く感じさせないけれども、
こういう絵画は、素直に好き。
というか、ここに並んでいるような絵が大嫌いな人がいるのだとしたらそれは、
ちょっと専門にかぶれた、「突っ張った」人なのかも。

個人的には、林潤一さんの、発色の良い花の絵が良かった。
西野陽一さんの「王国」「森の家族」は、とっても幻想的で素敵。



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福島・東京(旅行)


リンクさせていただいている「或いは修羅の十億年」のfumiさんと
昨日今日で旅行に行って参りました。
初めて福島、東北に上陸して、かの土地の言葉を聞いてきました。

郡山で乗ったタクシーで
たまたまの話の流れで京都から来ましたというと、運転手さんが、ちょっと懐かしそうに、
着物(の仕事を)やっていた時よく行った・・とかおっしゃっているのを聞いたり。聞きながら、
外から見た京都ってどんなものか少し想像してみたり。
豊洲の喫茶店で朝ご飯を食べながら耳に飛び込んでくる東京風の言葉つかいとイントネーションが
とても新鮮だったり。
普段と遠く離れた場所で、見知らない土地の日常を見ることは、ほんとうに非日常なことね。
そして、旅から帰ってきたときの、急にはもとに馴染めないような妙な居心地。

展覧会を沢山見てきました。
郡山の郷さくら美術館・東京勝どきのオオタファインアーツ(Ota Fine Arts)、
護国寺の野間記念美術館・日本橋の西村画廊と三井記念美術館・東京国立博物館。
色々な作品をたくさん見て、それがいま頭の中でぐるぐる回っている。

沢山いちどに見ることの難点は、見た感想の整理を付けるのが大変なことだわ。贅沢な悩みですが・・。


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2008年7月10日木曜日

星野画廊「岡本神草〈拳の舞妓〉への軌跡展」

岡崎の星野画廊に行ってきました。岡本神草「拳の舞妓」への軌跡展。

「拳を打てる3人の舞妓」は、一番奥の壁に。
3人のうち中央の舞妓のみを描いた「拳の舞妓」(大正11)、「舞妓」(大正14頃)、
そのほか、果物や風景、花の写生や、舞妓の絵のためのスケッチ、夢二画の模写、
自筆の日記、拳の舞妓の制作予定表(大正8)。

大正9年の拳の舞妓なら、いくら浅学の私でも知っていました。
京近美で下絵とともに展示を拝見したこともある。
その近美の方の、大正9年の「舞妓」は、全体の未完成状態と異様に黒い外隈と
内側に向かって3段階の分断線で、怨念を感じるくらいの迫力があった。
白と赤と黒の濃い霧が、もやもやと立ちこめているような感じ。

その作品の前段階にあたる、何らかの理由で途中で制作をやめた、であろう作品が、
今回出されている「拳を打てる3人の舞妓」(大正8)ということで。
近美でみた9年の方の記憶と比べて柔らかい印象を受ける。人物は画面に比して大きい。

近美のと舞妓の顔が全然違う。特に向かって右。
近美の9年の方は、顎が小さくなって、
8年の方で面長な顔が9年の方では丸顔に近くなっている。
ちなみに大正10年の方の第三回帝展出品分はさらに丸顔。
もうこうなると、下絵(近美の)から随分隔たってきているのね。
構図では、9年の方が8年のに比べて左の舞妓の頭を下げて右の舞妓を上げている。
3人の顔で出来る三角形の底辺がほぼ水平になっている。
つまり、9年の方の構図は、三角形を強く連想させて構図として平面的。
8年の方は9年に比して自然な情景表現といえる。
構図と顔の表現の違いが、9年の「拳の舞妓」の図様表現を緊密にしている、
そしてまた、より神草的女性表現にしていると思った。

未だ違う、未だ違う、と、やり直しながら制作を続ける神草の姿が、見えた気がする。
近美の方も今回の展示の方も、星野画廊で探し出された作品で。
師匠が星野画廊を絶賛するのは当然なんやなあ・・。

見たものを、なかなか咀嚼しきれずにいるときに、星野さんに話しかけて頂いて、
一番大事な感想を言わずに、果物の写生が凄く、いいですね、とかなんとか言って
帰って来てしまいました。情けない。



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2008年7月9日水曜日

Oギャラリーeyes「羽部ちひろ展」

油彩で描いてらっしゃる作家さん、羽部ちひろさんの個展を拝見しました。

キャンバス画5点、小さく薄い厚みの板絵2点、
小さな厚紙に描いたもの1点(これがDMの絵だった)。
何れの作品も、ぬるぬるとした油絵具の素材感と、ゆっくり置いた筆触とが相まって、
モティーフの表現にモッタリした重みというか、量塊感・密度の高さが出ている。

絵としては、不可思議系。
ベッドの掛け布団が冬の雪山の景に化けていたり、だまし絵の系統。
でも独特なのは、幻想的に介入してくる絵柄が必ず雪山だってこと。
それも牧歌的で概念的な雪山。
何故雪山? ・・不思議な。

同じモティーフを、言わば持ちネタ、十八番として繰り返すこと。
それによって、もともとは小さな意味から出発して出てきた(かもしれないような)形が、
次第次第に、雪だるま式に、形態と内容の面白さを増加していって、もう表現には不可欠な重大性を帯びていくような。
この雪山に、そういう表現性が獲得されていく
途上の形態を感じ取ったのだけど。勘違いかしらね。



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2008年7月1日火曜日

『西の魔女が死んだ』(映画)

最近は忙しくしていて、展覧会というものに行っていない。
豊田市美のフジイフランソワの展示とか、とっても行きたかったのだけど。
やっと忙しさの波が去ったので、精神的な集中のスイッチ切るために、映画を見に行った。

映像は、文章とか音楽とか絵とか見るよりも、情報量が多い。
映画になるとさらにストーリーと音楽とその他もろもろが盛り込まれて、めくるめくような世界。
基本的に、何も考えなくなれるようになるために映画を見に行くので、
感想はいつも、「なんか分からないけど凄い良かった」。
映画に関しては批評精神が全く働かない。
そして大体いつも、何ということ無いシーンに、涙、涙。

長崎俊一監督・脚本、2008年、日本。原作は梨木香歩『西の魔女が死んだ』。
ベスト泣けたのは、「まい」の母親が運転をしながら、「あの人は本物の魔女よ」と言ったシーン。最後の方のシーンですね。

この「魔女」はきっと、最高の人間性みたいなものの代名詞みたいな扱いなんだな。
日常の中にぽっかりと浮かんでいるファンタシー、この映画では「魔女」だったけど、
確かにこういうファンタジーは、私の中にもあるなあ。
他人には正体不明の信念みたいなもの。


2008年6月20日金曜日

金刀比羅宮 表書院「金刀比羅宮の屏風展」

金刀比羅宮表書院。
普段は、どどーんと応挙の襖絵がある、鶴の間・虎の間・七賢の間に、
金刀比羅宮所蔵の屏風絵が並べられている。

松本山月の野馬図(六曲一双・押絵貼・各118.8×303.0・紙本墨画淡彩)は、
不思議にどろんとした感じの画風。現代的な感覚では、「あんまり格好よくない」。
でも、描き込みに手を抜いている風ではなくて、そして形態がおかしいわけでもない。
あっさりしているのに、細部は細かい。
そして、意外にも在世期は古い。1650~1730。
で、帰ってきてから、ほんのすこしだけ調べてみた。養父松本山雪(?~1678)から伊予松山藩の御用絵師を継いだ画家らしい。
画風も養父から受け継いだものとか。
山雪って。狩野山雪と紛らわしい・・と思うと、作風的には確かに京狩野系だとか。
松本山雪は、『古画備考』にも載っている画家なのか。知らなかった。
愛媛県立美術館で、「松本山雪ー桃山と江戸のはざまにー」展をされたそう。(2007年)
図録見たい。

他は、尚信の新出の屏風絵と、探幽の(という解説の)山水図屏風。
山水図屏風は、紙継ぎ幅がえらく広い。

上段の間「瀑布図」(応挙)は壁貼付なので、出張していなくて、良かったです。
つやつやしていてとても綺麗。
滝の水が真っ白。他の部分の明度を全部おとしているので、浮き上がって見える。
白がこんなに白いということに、驚く。

せっかく香川に行ったのに、饂飩食べてないのが、残念すぎます。


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金刀比羅宮 宝物館常設展示

四国へ行ってきました。
まず香川のこんぴらさんへ。
こんぴらさんといえば、表書院の障壁画・・応挙とか・・が有名ですけど、
今は展覧会で出張中。
なので、宝物館の常設展と、特別にやってらっしゃる屏風絵の展示だけ見て参りました。

宝物館。
どういうことだろうか・・・と、最初にとっても不審に思うのは、展示ケースのガラスが
あの、旧式の、表面がデコボコしたやつだっていうこと。
昭和初期までころの古い建物の窓に、はまっていますよね。あのガラス。
アレは、むこうの風景が歪んでにじんでちょっとノスタルジックな感じになるので
普段は好きですが、展示ケースとしては、いただけない感じがします。

宝物館の展示は(まあ、脈絡無く)、色々出していらっしゃる。
目立って良かったのは、為恭「琴棋書画図小襖」(4面・
紙本金地着色・24.0×43.6)
為恭の作品に対しては概して、綺麗なんだけど物足りない、という気持ちを
これまでは持っていたのだけど。
この絵を見て、認識を変えなくちゃと思った。
やわらかいのにどっしりした人物表現で、しかも、「琴棋書画」っていう画題の定型的なイメージが全くない。
唐人風おっちゃんの琴棋書画じゃなくて、上代純和風のかわいい女の子の琴棋書画だからかな。

探幽の「文殊菩薩並びに牡丹図」(三幅対)は、さらっとした感じ。
でも探幽は、掛幅のような縦長の紙面に描いたものよりも、
襖とか屏風とかの、横長の構図に描いた絵のほうが、断然良いと思う。探幽の描く空間って、
横への広がりこそが、大きいんだと思うから。

あとは、田中納言とか原在泉・森寛斎などなど。
総じてあっさりすっきり上品な絵。



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2008年6月17日火曜日

引っ越してきました

以前のブログが、運営母体の都合で閉鎖されることになりましたので、
こちらに引っ越しをさせていただきます。。

改めて、宜しくお願いいたします。




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