岡崎の星野画廊に行ってきました。岡本神草「拳の舞妓」への軌跡展。
「拳を打てる3人の舞妓」は、一番奥の壁に。
3人のうち中央の舞妓のみを描いた「拳の舞妓」(大正11)、「舞妓」(大正14頃)、
そのほか、果物や風景、花の写生や、舞妓の絵のためのスケッチ、夢二画の模写、
自筆の日記、拳の舞妓の制作予定表(大正8)。
大正9年の拳の舞妓なら、いくら浅学の私でも知っていました。
京近美で下絵とともに展示を拝見したこともある。
その近美の方の、大正9年の「舞妓」は、全体の未完成状態と異様に黒い外隈と
内側に向かって3段階の分断線で、怨念を感じるくらいの迫力があった。
白と赤と黒の濃い霧が、もやもやと立ちこめているような感じ。
その作品の前段階にあたる、何らかの理由で途中で制作をやめた、であろう作品が、
今回出されている「拳を打てる3人の舞妓」(大正8)ということで。
近美でみた9年の方の記憶と比べて柔らかい印象を受ける。人物は画面に比して大きい。
近美のと舞妓の顔が全然違う。特に向かって右。
近美の9年の方は、顎が小さくなって、
8年の方で面長な顔が9年の方では丸顔に近くなっている。
ちなみに大正10年の方の第三回帝展出品分はさらに丸顔。
もうこうなると、下絵(近美の)から随分隔たってきているのね。
構図では、9年の方が8年のに比べて左の舞妓の頭を下げて右の舞妓を上げている。
3人の顔で出来る三角形の底辺がほぼ水平になっている。
つまり、9年の方の構図は、三角形を強く連想させて構図として平面的。
8年の方は9年に比して自然な情景表現といえる。
構図と顔の表現の違いが、9年の「拳の舞妓」の図様表現を緊密にしている、
そしてまた、より神草的女性表現にしていると思った。
未だ違う、未だ違う、と、やり直しながら制作を続ける神草の姿が、見えた気がする。
近美の方も今回の展示の方も、星野画廊で探し出された作品で。
師匠が星野画廊を絶賛するのは当然なんやなあ・・。
見たものを、なかなか咀嚼しきれずにいるときに、星野さんに話しかけて頂いて、
一番大事な感想を言わずに、果物の写生が凄く、いいですね、とかなんとか言って
帰って来てしまいました。情けない。
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