2008年7月10日木曜日

星野画廊「岡本神草〈拳の舞妓〉への軌跡展」

岡崎の星野画廊に行ってきました。岡本神草「拳の舞妓」への軌跡展。

「拳を打てる3人の舞妓」は、一番奥の壁に。
3人のうち中央の舞妓のみを描いた「拳の舞妓」(大正11)、「舞妓」(大正14頃)、
そのほか、果物や風景、花の写生や、舞妓の絵のためのスケッチ、夢二画の模写、
自筆の日記、拳の舞妓の制作予定表(大正8)。

大正9年の拳の舞妓なら、いくら浅学の私でも知っていました。
京近美で下絵とともに展示を拝見したこともある。
その近美の方の、大正9年の「舞妓」は、全体の未完成状態と異様に黒い外隈と
内側に向かって3段階の分断線で、怨念を感じるくらいの迫力があった。
白と赤と黒の濃い霧が、もやもやと立ちこめているような感じ。

その作品の前段階にあたる、何らかの理由で途中で制作をやめた、であろう作品が、
今回出されている「拳を打てる3人の舞妓」(大正8)ということで。
近美でみた9年の方の記憶と比べて柔らかい印象を受ける。人物は画面に比して大きい。

近美のと舞妓の顔が全然違う。特に向かって右。
近美の9年の方は、顎が小さくなって、
8年の方で面長な顔が9年の方では丸顔に近くなっている。
ちなみに大正10年の方の第三回帝展出品分はさらに丸顔。
もうこうなると、下絵(近美の)から随分隔たってきているのね。
構図では、9年の方が8年のに比べて左の舞妓の頭を下げて右の舞妓を上げている。
3人の顔で出来る三角形の底辺がほぼ水平になっている。
つまり、9年の方の構図は、三角形を強く連想させて構図として平面的。
8年の方は9年に比して自然な情景表現といえる。
構図と顔の表現の違いが、9年の「拳の舞妓」の図様表現を緊密にしている、
そしてまた、より神草的女性表現にしていると思った。

未だ違う、未だ違う、と、やり直しながら制作を続ける神草の姿が、見えた気がする。
近美の方も今回の展示の方も、星野画廊で探し出された作品で。
師匠が星野画廊を絶賛するのは当然なんやなあ・・。

見たものを、なかなか咀嚼しきれずにいるときに、星野さんに話しかけて頂いて、
一番大事な感想を言わずに、果物の写生が凄く、いいですね、とかなんとか言って
帰って来てしまいました。情けない。



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